いま、希望を語ろう
◇◆第904回◆◇
![]() | いま、希望を語ろう 末期がんの若き医師が家族と見つけた「生きる意味」 (ハヤカワ・ノンフィクション) ポール カラニシ Paul Kalanithi 田中 文 早川書房 2016-11-09 by G-Tools |
●末期がんと診断された脳神経外科医の生き方
著者は2015年3月に肺ガンのため38歳で亡くなっています。2013年5月にステージⅣの肺ガンと診断されました。それまでの彼は誰もがうらやむようなエリートコースを歩んでいます。インド系アメリカ人二世として生まれ、最初は英文学を志し、スタンフォード大学で修士号を得たあと、医学へと進路を変え、ケンブリッジ大学で医学史、哲学の修士号を取得。イェールメディカルスクールを優秀な成績で修了し、スタンフォード大学に戻って脳神経外科の研修のかたわら、脳科学の研究にもたずさわっています。
その間に内科医である妻のルーシーと知り合い結婚、間もなく研修を終え、前途洋々たる未来がすぐそこに開けている状態のなかでの末期ガンの診断でした。その経歴からも想像できるように、彼は文学や哲学にも強い関心を示しており、「死とは何なのか」について思索してきました。脳神経外科医となって、多くの患者と出会い、手術をする中でも常にそのことについて考えていました。
●自分にとっていちばん大切なものは何か
皮肉なことにその彼が、末期ガンと診断され、死と向き合うことになったのです。人は必ず死にます。しかし、一般には、特に若い時代にはそういうことは特に意識せずに生きているものです。35歳にして肺ガンにかかる確率は0.001%ほどだ、と彼自身がここで述べています。まさか、なぜ自分が、と思ったに違いありませんが、著書の中に残されている彼の姿は冷静で、静かに死と向き合っているように見えます。
本書の第一部は健康な時代の彼の姿がいきいきと綴られています。子どもの頃の思い出、家族のこと、友人のことなど、最初は英文学を志望していた彼の文学的才能がいかんなく発揮されています。
第二部は末期がんとの診断を受けてからの話です。最も印象に残るのは主治医となったエマの姿です。彼女は余命がどれくらいか、という話をいっさいしませんでした。末期ガンと診断された場合、その先の生き方は人によってさまざまです。仕事を引退し、完全に引きこもって暮らす人もあります。しかし、エマは彼に「手術室に戻ろうと思うなら、そうすることは可能です」と告げます。「自分にとっていちばん大切なものは何か、考えなければいけません」
●最期まで歩みを止めてはならない
ガンの治療は日々進歩しており、薬があった場合には数ヶ月どころか数年単位、あるいは10年以上の人生の延長も考えられます。「何がしたいのか決めるのはあなたです」とエマは言います。著者は再び文学に戻り再び前に進むための力を探します。そして、ある日、手術室に戻ろうと決意します。すでに人工授精によって子どもをもつ決断もしていました。
そして、手術室への復帰を果たします。しかし、手術を再開して7ヵ月後、ガンは再び勢いを増し、彼は最後の手術を終え、もう二度とここに戻ることはないのだと悟ったときの様子も記しています。ケイディと名づけた女の子が誕生して8ヶ月後、同じ病院で彼は息を引き取ります。
第二部の表題は「最期まで歩みを止めてはならない」です。本書のエピローグは彼が亡くなったあと、妻のルーシーによってしめくくられています。亡くなっていく人だけでなく、残される人にとっても「生と死」の意味についてあらためて考えさせてくれます。
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