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2014年8月 9日

我が足を信じて

◇◆第871回◆◇

4286112675我が足を信じて 極寒のシベリアを脱出、故国に生還した男の物語
著者:ヨーゼフ・マルティン・バウアー 訳者:平野 純一
文芸社 2012-05-01

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戦争捕虜シベリアからの脱出行
これは、シベリアの東の端にある収容所から脱走し、故郷のドイツまで3年をかけて逃げ帰った将校の体験を基にした小説です。主人公のフォレルは第二次世界大戦で、ドイツの落下傘部隊の隊長として当時のソビエトとの前線に派遣され、捕虜になります。戦後、シベリアでの重労働25年という刑の宣告を受けました。何か特別な犯罪をおかしたというわけではなく、恣意的なソビエトの裁判によってそういうことにされてしまったのであり、こうした状況に追い込まれた捕虜は大勢いました。

スターリン体制下のソビエトではそういうことが平気でおこなわれていたのであり、敗戦国ドイツには何の力もありませんでした。彼はシベリアの東の端、ベーリング海峡にほど近いデニショフ岬の鉛鉱山へ送られます。日の差さない地下の洞窟に閉じ込められ、鉛中毒の恐怖にさらされながらの厳しい労働が続きます。周囲はシベリアの原野、脱出は極めて困難でした。

フォレルは一度脱走を試み、つかまって連れ戻されます。そんなとき、収容所の受刑者用の病院で働く医師から脱走を助けようと持ちかけられます。医師もドイツ人捕虜で、医師であったためにこの病院へ連れてこられていたのです。なぜ彼自身は脱走しようとしないのか、この部分は前半の山場です。1949年10月30日、フォレルは鉛鉱山の収容所を脱け出しました。冬のシベリアの逃避行の始まりです。

彼が故郷ミュンヘンに帰ったのが1952年12月22日です。この小説では、後半部分は短くおさえ、冬のシベリアを西に向って逃げる時期の描写を中心に描いています。背中には医師が用意してくれたリュックを背負い、その中には最低限の燃料、食糧、タバコ、お金などが入っていました。ぎりぎりの装備ながら、工夫をこらし原野を生き延びていきます。

逃避行の彼にとって助けになったのは、原住民の存在でした。収容所を脱走して故郷に戻ろうとしているドイツ人捕虜であることを隠さずに打ち明けると、彼らはフォレルを助けてくれました。途中、同じように収容所を脱走した重罪犯たちといっしょになって旅する場面もあります。

この小説は、本国ドイツで映画化され『9000マイルの約束』として世界中で公開され、各地の映画祭で賞を獲得したといいます。こういう脱出ものは息もつかせぬ面白さがあり、本を閉じる間もなく一気に読破してしまいました。シベリアでのサバイバルはもちろんのこと、途中で出会う原住民たちの親切や、最終場面で彼を助ける地下組織の存在など、人を助けるのは、究極的には人のつながりなのだということがわかります。


我が足を信じて 極寒のシベリアを脱出、故国に生還した男の物語
我が足を信じて 極寒のシベリアを脱出、故国に生還した男の物語
著者:ヨーゼフ・マルティン・バウアー 訳者:平野 純一

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コメント

たっくさん、コメントありがとうございます。
遭難もの、脱出ものは面白いですね。読むのを中断するのが難しくなります。
次の「脱出記」も読んでいます。
スターリン時代のソ連というのはすごいことをやっていたんだな、と驚きます。

面白そうだから買ってしまった。
以前日本初空襲のアメリカ空軍兵士のシベリア抑留体験記を読みました。

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