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2014年1月24日

イサム・ノグチ

◇◆第839回◆◇

406273690Xイサム・ノグチ(上)――宿命の越境者 (講談社文庫)
ドウス 昌代
講談社 2003-07-15

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天才芸術家の複雑な生い立ち
イサム・ノグチ(1904-1988)は二十世紀を代表する彫刻家です。父は日本人で詩人の野口米次郎、母はアメリカ人のレオニー・ギルモア。結婚していない二人の間に生まれ、3歳で母とともに日本に渡ります。しかし、父は別の女性とすでに結婚していました。イサムの将来を考えた母によって、13歳のときに単身アメリカに戻ります。「宿命の越境者」という副題が示すとおり、アメリカと日本という二つの国の間で、いずれの国においても異端者として育ったことが彼の芸術の原点となります。

上巻の特に前半では、米次郎とレオニーのいきさつが重点的に描かれています。レオニーは大学を卒業し、当時のアメリカ女性としては、上級の学歴の持ち主でした。ところが、米次郎に出会い、彼の詩を英語で添削する仕事をするうちに彼と恋に落ちてイサムを身ごもってしまいます。米次郎は、身勝手なエゴイストです。日本で別の女性と結婚し、イサムに関しては自分の息子であるという感覚はほとんど持っていません。

なぜレオニーが息子を連れてあの時代(明治40年)にわざわざ日本に来たのかが不思議なほどです。ただ、この幼い時期に日本にいたということが、後の彫刻家イサム・ノグチに大きな影響を与えたのは確かでしょう。もし、彼がずっとアメリカで育っていたら、後の彼が見せる「東洋的」な側面は生まれなかったでしょうし、晩年の牟礼での作家活動もなかったかもしれません。その意味では、レオニー・ギルモアの生き方は、イサムを彫刻家として開花させる布石を打つための人生行路だったような印象を受けます。

イサムに対して、レオニーは最初からアーティストになってほしいという希望を持っていました。彼の天賦の才能を最初から感じていたのがレオニーだったのかもしれません。イサムは彫刻家として出発するやいなや順風満帆の作家生活に入ります。さまざまな人々との出会いにも恵まれ、彫刻家としての人生は晩年になるに従ってますます栄光に満ちたものになります。

華麗なる女性遍歴
彼の私生活について一番驚くのは、その女性遍歴の華麗さです。彼は非常に女性にもてました。有名、無名の多くの女性が恋の相手としてあげられています。アメリカ人としてはかなり小柄で、30代半ばには髪が薄くなっていたようですが、それでも晩年までそのオーラは衰えず、80歳が近づこうというころでも、日本人の30歳前後の女性を恋人にしています。亡くなる直前まで仕事に意欲を燃やし続けていましたが、恋愛においても生涯現役でした。

彼の性格について、本書で多くの人がインタビューに答えて「複雑な性格」といっています。それは彼の生い立ちによるものですし、その後もつきまとった日本にもアメリカにも帰属しきれない帰属感の希薄さからくる不安によるものです。途中、第二次世界大戦という不幸な時代背景もありました。しかし、これもまた彼が生涯を終えて残した作品の数々を見ると、そのマイナスの部分があったからこそ、イサム・ノグチの表現が可能になったのだと思わざるをえません。


イサム・ノグチ〈下〉―宿命の越境者
イサム・ノグチ〈下〉―宿命の越境者
ドウス 昌代

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