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2012年2月21日

命は誰のものか

◇◆第731回◆◇

4887597347命は誰のものか (ディスカヴァー携書)
香川 知晶
ディスカヴァー・トゥエンティワン 2009-08-05

by G-Tools

生命倫理について考える
医療技術の飛躍的な進歩に伴って、20世紀末ごろから人間社会は生命倫理という問題と常に向き合わざるを得なくなっています。代理出産、尊厳死、脳死、臓器移植など、本書ではそれらの問題について読者に問いかけ、考えるよう促しています。すべてある日突然自分が当事者になる可能性があることだからです。本書の問いを読んでいると、人間はなんと因果なものなのか、と思ってしまいます。これらは医療技術の発展によってもたらされたものです。人間が望み願い求めた結果素晴らしい未来がもたらされるはずだったのに、決してそんな日はこない、ということがわかります。

本書の中で問われている問いは次のようなものです。これらがそれぞれの章題になっています。
1)あなたは、薬や医療設備が足りないとき、治療する人を選んでもいいと思いますか? あなたなら、誰を選びますか?
2)あなたは、生まれてきた子に重い障害があったとしたら、治療に同意しますか? そのまま死なせますか?
3)あなたは、生まれてくる子どもに障害があるとわかったとき、その子を産みますか?
4)あなたは、代理出産を依頼しようと思いますか?
5)あなたは、自分の子ども同士の臓器移植を決めることができますか?
6)あなたは、治る見込みはないのに、生かし続けられることを望みますか?
7)あなたは、家族が治る見込みがないとき、人工呼吸器を取り外すことに同意しますか?
8)あなたは、「脳死」は人の死だと思いますか?
9)あなたは、臓器を提供しますか?
10)あなたの命は誰のものですか?

科学技術と社会を突き動かす人間の深い欲望
本書ではこれらの問題について社会的に注目を集めた事件や訴訟などを例にあげ、それぞれの問題について読者が考えられるようになっています。脳死と臓器移植については、欧米と日本との違いに関して、従来とかく日本は遅れているといわれて来ました。しかし、それはほんとうにそうなのか、との問いかけもおこなっています。脳死が人の死とされたのは、臓器移植が医療の中に組み込まれてきたからであり、便宜上の死の概念です。脳死や臓器移植法といった法整備はそれによって臓器不足を補うという目的があります。

しかし、皮肉にも移植医療が特殊な医療でなくなればなくなるほど、臓器の不足はさらに拡大します。なぜなら、今までは「仕方が無い」とあきらめていた人も臓器移植によって救われる可能性が生まれ、ニーズが広がるからです。ここを読むと、人間は医療の進歩によって「救われる」時期をもしかしたら超えてしまったのかもしれない、と感じます。これは生殖医療でも同じです。一昔前なら子どもが生まれなければあきらめるか養子を迎えるかというところに落ち着いたでしょう。ところが、いまやアメリカのような生殖ビジネス大国だけでなく、日本でも娘夫婦の子を祖母が代理出産するといった事例が出てきています。技術的に可能なら、そのうちチンパンジーに人間の子を産ませるような技術が開発されるかもしれません。

科学技術の進歩というのは、それまで不可能であったことが可能になることを意味します。進歩は、一面では望ましいことですし、これがなければ人間ではないともいえます。しかし、進歩を裏返せば人間の欲望の結果であり、欲望が技術の進歩を促しさらに欲望に拍車をかけます。人類は、鼻先ににんじんをぶら下げられた馬のように、届かないものに向かって必死で走ってきたのかもしれません。欲望があったからこそ、われわれは今洞窟に暮らしてはいないわけですから、喜ぶべきなのでしょう。ただ、技術はこの先もとどまることはありませんから、人の命の分野でも新たな課題が永遠に立ち上がってくることだけは間違いありません。

命は誰のものか (ディスカヴァー携書)
命は誰のものか (ディスカヴァー携書)
香川 知晶

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