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2011年2月20日

人生をどう生きますか?

◇◆第706回◆◇

4434069640人生をどう生きますか?
ジッドゥ・クリシュナムルティ  大野龍一(訳)
コスモスライブラリー 2005-10

by G-Tools

クリシュナムルティは何を伝えようとしたのか
クリシュナムルティは1895年にインドで生まれた思索家です。14歳で神智学教会の指導者リードビーダーに見出され、世界教師の器として霊的修行を開始します。ヨーロッパで学んだ後、インドに戻り<星の教団>の指導者となります。しかし、34歳のときに「真理は組織化しえない」として教団を解散し、以後、世界中を巡って講話と著作を通し人間の覚醒を促し続けました。本書は彼の講話や著作からのアンソロジーで、クリシュナムルティが何を伝えようとしたのか、を手早く知ることができます。

彼は「何ものにも依存せず、自分自身を観察し、自ら考えよ」と説いています。社会の伝統や既存の宗教、哲学など、何かによりかかってそこに”真理”を見出そうとすると道を誤ってしまう、とくり返し説いています。人は生まれたときから周囲に教育され、しつけられ、文化に染まり、そこでよかれとされている人間になろうとします。しかし、そのために生を取り逃がしてしまうのです。

愛と生と真理
愛と生と真理はクリシュナムルティの中では同じような意味として語られているように思えます。それらは今この瞬間の中にしかなく、どのような指導者、権力者、哲学者、グルにも教えられるものではありません。何か形のあるものとしてそれをとらえようとすると、それらは形骸化し、言葉だけで語られるニセものになってしまいます。言葉になりえないものを言葉で語ろうとしていますから、本書を読んでも理解するというよりは感得する、なんとなくこういうものではないか、と感じ取るしかないように思います。

世俗の権力者や指導者を信用するなというのは、霊的な指導者がよく言う言葉ですが、クリシュナムルティの特徴は、あらゆる霊的な指導者とされる人たちの言葉も信用するなと言っていることでしょう。それらの人たちを信用するなというよりも、そういうものにすがってしまいがちな人間の本性というものを喝破しているのだと思います。イエスが、仏陀が、マホメットが、あるいはなんとかのグルが導師が「○○と言っているからこれは正しい」という言葉で硬直化が始まります。

自分自身を注視すること
愛も生も真理もつかまえてそこに飾っておけるものではありません。ですから、何かを目指して努力するといったようなことも思考のまやかしだ、と述べています。もちろん、普通の生活を送るのに勉強したり努力したりするのは必要なことです。しかし、すばらしい人間になろう、とか愛と慈悲を実践できる人になろう、とかそういうことを「目標」にすることの愚かさを指摘しています。それを「目標」にすることがそもそも思考の罠であり、思考は時間の中でしか生きられないものです。

そして、愛も生も真理も時間や思考の外にあるものです。本書の最後には、「瞑想」について書いてあります。どこかで座ったり特殊な呪文を唱えたりするのは、全く瞑想ではないと彼は言います。それらは自己催眠、自己満足に過ぎません。瞑想とは気づいていること、観察すること、注視することなのです。その一瞬一瞬に自分の中で起こっていること、自分の思考、感情、それらのものに十分な注意を払っていること、それが瞑想です。

それならば、24時間いつでもどこでも瞑想はできるはずです。そして瞑想するように生きることができれば、おそらく愛や生や真理を体得できるのではないかと思えました。何かを改善しようとか進歩させようというのはしょせんまやかしです。これらは、現在のどうしようもない状況の中で根本的な転換をはかろうとするのではなく、小手先でお茶を濁すようなことにすぎません。そうしたことを「目指す」のではなく、ただ注視していること、その注視の中で問題は徐々に溶けていくのです。


人生をどう生きますか?
人生をどう生きますか?
ジッドゥ クリシュナムルティ Jiddu Krishnamurti

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