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2010年4月29日

14歳からの哲学

◇◆第659回◆◇

490151014214歳からの哲学 考えるための教科書
池田 晶子
トランスビュー 2003-03-20

by G-Tools

考えるということについて教えられる
中学生を対象に書かれた本ですが、「考える」ということについてあらためて教えられるところの多い本でした。人間は答えのない質問をしながら生きていく存在です。本書の前半「14歳からの哲学(A)」で取り上げられている課題は、恐らく誰もが一度は成長過程でふと心に抱く問いでしょう。ただ、それをいつの間にか忘れてしまうのです。さらに考えても「無駄」だと思い、どこかに押し込めてしまうのかもしれません。

「考える」「言葉」「自分とは誰か」「死をどう考えるか」「体の見方」「心はどこにある」「他人とは何か」という表題で提示されるこれらの哲学的命題は、大人ももちろん答えなどもっていません。死、体、心について書かれていることは心身問題(心脳問題)を思わせるもので、これらに関してなら生涯ずっと考え続けても、恐らく答えには到達しないと思われます。それでも、著者は自分の頭で考えよう、と読者を誘っています。

答えよりも問いが大事
すぐにマニュアルや処世術や「正しい答え」を欲しがるのではなく、自分の頭で考え抜くことが最も大事なのだということを著者は主張しています。問題というのは答えがあらかじめわかっている受験問題のようなものと、人類誕生このかた考え続けられてきた「生きることの意味」とか「心脳問題」とかという、問いはあってもおそらく正解に達することはとてつもなく難しい(もしかしたらそんなものはない)ものの二種類があります。

人が本当に問うべきなのは後者の問題です。答えがないことがわかっていても、問いをたてることこそが重要なのであり、著者はブッダもキリストも問いをまっすぐにたてた人たちであると述べています。この宇宙で何が一番不思議かといえば、この宇宙が存在するということです。科学はどこまでいってもこの「なぜ」に答えることはできません。脳や心の問題のところでふれられているのもそれと関連しています。

生きているということは謎である
なぜ自分が自分なのか、他のだれでもなくこの自分なのか、というこの感覚の不思議さ。自分とは何かと問いかけるそのときに自分の心に湧きあがって来る不思議さ。あたり前のように思われていることが、一番不思議でわからないことなのだということをあらためて知らされます。本書の中でも大人(中学生の親世代以上?)がそうした素朴な疑問をいつの間にか忘れて「常識」の中に埋没して生きていることを指摘しています。

「生きることの意味」といういかにも哲学的な問題にさえ、著者は「生きることの意味」が果たして必要かどうか考えてみようと述べています。存在そのものがとんでもない奇跡だとしたら、意味を飛び越えてすべてが奇跡です。どんな苦しみも悩みもすべて奇跡の中で起きているのです。生きていることはそれ自体が謎であり、それを知って生きるのと、それを知らずに生きるのとでは、人の人生はまったく違うものになる、と書いています。

問いをたて、考え続けることの重要性
ずっとこうした新鮮な問いを心に抱きながら生きていきたいと思います。そういうもんさ、そんなこと考えて何になる、みたいなことを言うようにはなりたくない。こうした問いに関しては、答えは自分の中に捜すしかないのです。問いを持っていれば、きっとある日、新鮮な目から鱗が落ちるような体験ができるでしょう。

それはとっくに誰かが言っていることかもしれません。ブッダやキリスト、孔子やソクラテスが言っていることかもしれません。しかし、それが自分の中で「ああ、そうだったのか、そういうことだったのか」と納得でき、腑に落ちるものとなるためには、テキストを読んで丸暗記するだけではダメなのです。問いかけ、考え続ける(悩むのではありません)、それこそ人が人であることの証です。

14歳からの哲学 考えるための教科書
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コメント

はるさん、コメントいただきありがとうございます。

お嬢さん、そろそろ「考える」年齢に突入ですね。ヒトから人間になっていく時期とでもいいましょうか。思春期でおそらく人は初めて「答えの無い問い」というのに気づくのではないかと思います。それまでは親や先生に尋ねたらなんとかなっていたのだけれど、ここで誰にも答えられない質問があることに気づきます。

しばらく考え続けるのだと思いますが、人間はこの先、「考えてもシカタガナイ」と問いかけることをやめる人と、ずっと考え続ける人の二つに別れるのではないでしょうか。これは自分で選べるのではなく、どうにもそうなってしまうように思います。

私は後者でありたいと思うし、その方が多分生きていくには数倍面白いと思います。答えがないからシカタガナイのではなく、だから面白い。生きていくことの醍醐味は答えのない質問を続けることであり、その質問を続けるために生まれてきた、生きているといっていいんじゃないか、と近頃では思っています。

COXさん、こんにちは〜♪

この本ではないのですが、池田晶子さんの「14歳の君へ」という本を娘の友人が貸してくれて娘が読んでいます。女の子は男の子よりも数年間早熟なので、小学校5年生という時期は女の子は大人への一歩手前で心理的にナイーブになる時期だそうで、学校の友達関係でも色々なことがあり、娘も自我を確立したいという願望が強くなってきたようで、貸して頂いたその本を食い入るように読んでいます。

COXさんが仰有るように、答えなんかよりも正しい問いを立てて、その問いについて自分ならではの答えを探す過程が大切だと思います。そうすることで自我がしっかりと身についてゆくものなのだと思います。

14歳でも40歳代でも人間は煩悩を抱えた存在という点では全く同じなので、娘が読んだ後に僕も読ませて貰おうと思っています。(^_-)-☆

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