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2010年3月25日

数学嫌いな人のための数学

◇◆第653回◆◇

4492222057数学嫌いな人のための数学―数学原論
小室 直樹
東洋経済新報社 2001-10

by G-Tools

数学は形式論理学である
数学の本というよりも数学の根本にあるギリシャ・ヘブライ的考え方を説明している本です。なぜ西洋キリスト教社会で近代科学が発展したのか、同じような文化的段階にあったはずのインドや中国といった東洋では発展しなかったのかがわかります。その理由は「物事に徹底的にシロクロをつけずにはおかない」という形式論理学の考え方です。数学の基礎にこれがあります。論理学が発展したのは論争に勝つためですが、ユダヤ民族にあってはこの論争相手は人間ではなく、唯一神ヤハウェです。

ユダヤの神は嫉妬する神であり、自分を唯一神として信仰することをユダヤ民族に求めます。そして神とユダヤ民族の間に契約が結ばれるのです。その契約を破ったならば、神はユダヤ民族を滅ぼすと宣言します。そして、ユダヤ民族は何度も契約違反をするのですが、その都度預言者が神と民族の間にたってとりなし、契約を続行させます。預言者は民族の存亡をかけて神と論争したのです。

すべてはシロクロはっきりさせるところから
このヘブライの神との論争が古代ギリシャの形式論理学と結びつき、ユダヤ・キリスト・イスラムといった啓典宗教につながり、さらにキリスト教世界から近代科学が生まれていったのです。シロクロはっきりさせる論理学を形式論理学と言います。論理学というのはいろいろあり、中国でも春秋戦国時代に弁舌の巧みな者は各国を渡り歩き、自らの言葉の力で君主を納得させることができれば、目もくらむような出世が可能でした。彼らが修練を積んだのもひとつの論理学です。

しかし、根本のところが形式論理学とは異なっていました。そこに情誼や忖度といったシロクロで割り切ってしまえないものを入れたからです。東洋で発達した宗教は啓典宗教とは異なります。仏教に聖書やコーランに匹敵するような唯一絶対といったものはありません。著者は中国や韓国はまだ論理に親しんでいるけれど、日本人はさらにその部分が薄いと指摘しています。阿吽の呼吸などというのはその典型でしょう。

形式論理学の根本原則
形式論理学の根本原則は次の三つです。
1)同一律
契約は言葉で正確に記されなければならない。そのため契約で使われる用語の定義が要求された。古代イスラエルやユダヤ教では神殿や契約の箱の作り方について作り方から寸法まで数字をあげて細かく規定している。
2)矛盾律
絶対神は人間と契約を結び、あくまでも契約を破ったか破らないかを峻別する。「厳守」と「破る」が同時に成立することはありえない。
3)排中律
絶対神との契約は、守ると破るとの間の第三の命題はありえない。守ると破るの中間もなければ、守ると同時に破ることもない。守ると破るのいずれでもないということもありえない。

数学以外の帰納法の限界
これらは古代ギリシャで完成され、唯一絶対神の存在を確信する宗教において人間の論理として実施され、それが近代科学と近代資本主義の確立に必要な基盤となったのです。本書には近代科学の論理の基礎である帰納と演繹についても書いてあり、数学以外の帰納法には「完全」ということはありえないとも記しています。限りなく確からしいとしか言えないのです。

この論理からアメリカにあるクリスチャンサイエンスや進化論の否定、啓典宗教にあるファンダメンタリズムというものの考え方の基盤もなんとなく理解ができます。数学を除く科学の帰納法に、例外がある可能性はあると言われれば否定することはできない、ということになります。

すべてはハードな論理による
実際にブラックスワンがオーストラリアで発見され、「白鳥はすべて白い」という命題は否定されてしまいました。この先白いカラスが発見される可能性がないとは言えない。つまり、いま科学で真実だと言われていることに例外がある可能性は常にあるのです。このあたり、論理に弱い日本人はむしろ「科学ではこう言っています」とか「科学で認められていない」と言われるとありがたく信奉してしまうところがあります。

啓典宗教の民はよくも悪くもハードなのです。「まあ、そんなもんでしょうか」などというものはありません。今もやまない宗教戦争を見て日本人がなかなか理解できないのもこのあたりか、と思います。本書の後半は数学が経済学に与えた影響について書いてあります。マクロな経済学に興味があれば面白いでしょうが、そうでなければ退屈です。


数学嫌いな人のための数学―数学原論
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小室 直樹

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コメント

はるさん、再びコメントをいただきありがとうございます。

ガリレオもニュートンもデカルトも「神の御業」を知りたくて科学的探求をしており、神を否定したりはしていませんね。アインシュタインンもそうですし、知れば知るほどこの宇宙の深遠さに畏敬の念を覚えるのだと思います。

宗教の名前がなんであれ、真髄で述べていることはかなり似ています。表面的に理解して、それを権力闘争に使ったりするから、宗教戦争になってしまうのであって、そのあたりはこの世の悲しさですね。

よく考えずに神さまなんて迷信だと言うのは、浅はかな考えだと思います。物質的なものに偏るあまりのニヒリズムというのは、危うい考え方だと思いますし。全てを知るには人間はまだまだでしょう。

だからこの世の善悪の判断は、全宇宙的な意味での善悪とはかなり違っているかもしれない、と思います。人間は一面的な見方しか出来ず、それをさも真実を知ったように言うとアブナイな、とも。「私は何もまだ知らない」というのが本当のところじゃないかしらと思います。

COXさん、丁寧なコメントを有り難うございます♪

全く持って共感します。科学と宗教は密接不可分なものであることを再認識させられますね。

世の中には、「科学と宗教は敵対するものだ」という誤解が一部(いや、かなりの大多数の人々)にあるように思います。ところが、この本が示しているように、宗教がなかったならば、この近代科学もないし、産業革命もないし、この有り余る程の富も豊かな生活もなかった、ことは否定し難い事実ですね。

そして、「科学が進歩すれば、最終的には神は不要になり無神論に行き着く」と考える人々がいますが、やはりこれも大いなる誤解だと思います。本当にそれぞれの科学を突き詰めた最も有能な科学者は、その科学的真実の故に「無神論者になるどころか、ますます神への畏敬の念が増す」という話も聞きます。

僕自身も医学や薬学や経済史や人類進化史や宇宙物理学を学べば学ぶほど「漠然とした神さまへの畏敬の念」がますます膨らんでくるように思います。僕は日本文化の中で育った人間なので、その神さまは仏陀様のような孔子様のようなイエス様のようなご先祖様のような漠然としたものですが、やはり僕の心の中には神さまがいて、天国もあって、天国に対する現世があって、輪廻転生がある、というのが学べば学ぶほど強く感じるようになっています。

ミクシィの日記のコメント欄の最後に、宇宙と宗教について追記をしましたので、宜しければお読み頂ければ幸甚に存じます。

いつも素晴らしい勉強をさせていただき有り難うございます♪

はるさん、コメントいただきありがとうございます。

キリスト教と近代科学の成立には深いかかわりがあるとは以前からきいていました。本書を読んで、論理というものの凄さに驚きました。一神教の世界の論理を底から理解することは日本人にはなかなか難しいだろうなあとも思いました。それは、数学のことを説明したところよりもむしろ、クリスチャンサイエンスについて書かれたところを読んで、なるほどなあと感じたのです。

論理に論理で対抗するから、聖書の奇跡も文字通り奇跡であり、「神話」ではないのですね。だから、聖書やコーランに書いてあることはその書物を絶対とするなら科学だのなんだのはたわごとになってしまう…。原理主義にはそれなりの論理基盤がある。だから「よくも悪くも」ということになるのですが、こういう論理の基盤がないと近代科学も生まれようがなかっただろうなあと痛感しました。

西洋では無神論もひとつの宗教だときいたことがあります。日本人はそういうところは随分あいまいで、完全に神も仏も信じていない、強烈な唯物論者というのはむしろめったにいないように思います。八百万の神、アニミズムがいまも根強く生きているのが日本ですし。

先日読んだポランニーの「暗黙知」のようなことは、東洋的文化だとむしろあたりまえで、それを無視するとどうにもならないということは了解していると思うんですね。だけど、一神教文化ではそれもきっちり明文化しないと「ある」ことにはならない。

日本語の人称代名詞と西洋の人称代名詞の使い方の差もこの辺に基盤があるかもなあと思ったりしました。彼らは主体と客体を常にどんなときでもはっきり提示しないと話にならないんでしょうね。

地球は狭くなりましたが、文化的なそれこそ暗黙の部分でのギャップというのはまだまだもの凄く大きいという気がします。

COXさん、こんにちは♪

う〜む、考えさせられる内容たっぷりのレビューを有り難うございます。

数学や化学、物理学など一連の近代科学の成り立ちについて僕も色々な書物を読みあさっていますが、西洋の近代科学と宗教との関わりはマックス・ウェーバーが指摘したように、驚くほど深く密接に関連していることに感銘します。

>「物事に徹底的にシロクロをつけずにはおかない」
>絶対神は人間と契約を結び、あくまでも契約を破ったか破らないかを峻別する。
>その契約を破ったならば、神はユダヤ民族を滅ぼすと宣言します。

ギリシャ・ヘブライ文化から始まり、ユダヤ教、キリスト教・・・と綿々と続く西洋宗教史が西洋科学史と極めて密接に絡み合っていることには、う〜む、と唸らずにはいられません。

たぶん、僕が日本人で、古代以来続いた中華文明圏の影響を受け続けた日本の東洋的理念の文化で育ったことから、東洋人から見たときのこの西洋宗教と西洋的論理思考の「異質さ」が如実に実感できるのだと思います。逆に言うと、西洋人から見たときの東洋的思考の「異質さ」も同様に驚愕的で理解しにくいことなことなのだと推測されます。

いつも示唆に富む内容を有り難うございます♪

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