« ことばと文化 | トップページ | ザ・タートル »

2009年11月28日

日本人はなぜ英語ができないか

◇◆第627回◆◇

4004306221日本人はなぜ英語ができないか (岩波新書)
鈴木孝夫  岩波書店 1999-07

by G-Tools

日本人の努力が足りないからでも能力が低いからでもない
それは、日常生活に必要ではないからです。日本で暮らしていて、英語を使わなければ用が足せないなどということはまずありません。それどころか大学院レベルの教育まですべて日本語で受けられるのです。アジア各国で英語を達者に操る国というのはかつて英米の植民地であったところです。さらに国内の言語事情が複雑で、英語を使わなければ国全体の共通語がないところもあります。英語が話したくて話しているのではなく、それしか手段がないという国内事情を抱えている国がほとんどなのです。

外国語が話せることは「優秀」か?
日本人は外国語が話せるというとそれだけで尊敬のまなざしで相手を見てしまう傾向が有ります。それは明治維新のときに外国の進んだ文明を取り入れるために英独仏といった言葉で書かれた文献を読む必要があったからであり、大学レベルの高等教育も最初はそれらの言葉でなされました。つまり、英独仏語が話せるということは、「エリート」を意味したのです。

しかし、他国ではこういう傾向はあまり見られないと著者はいいます。ヨーロッパの言葉はもともと親戚のようなものですから互いの習得は日本人がそれらの言葉を学ぶよりはるかに容易です。また、数ヶ国語を話すような人は覇権を握っている大国の人ではなく、その中で翻弄されいたしかたなく支配層の言葉を学んだ弱い立場の人がほとんどです。現在でもアメリカ人はどこへ行こうと英語が通じてあたり前だと思っています。

アメリカの外務省の語学習得難易度基準によれば、日本語はアラビア語と並んで彼らにとって習得が最も難しい言語だそうです。それは使っている文字が全く違ううえ、言語構造も文化背景もかけ離れているからです。ヨーロッパ系の言語の中でも、ドイツ語とオランダ語、英語は比較的近く、イタリア語とスペイン語は話せなくてもお互いの言っていることはわかるといいます。方言のようなもので、もともとの言語構造、文字がほとんど同じだからでしょう。

情報発信を目指した英語習得を
日本人は英語コンプレックスに悩まされ、知識人といわれている人の中にも日本語は非論理的だからやめてしまってみんな英語を使うようになればいいのだという人が絶えません。しかし、それは暴論でしょう。著者の主張は日本人が日本語の中で培ってきた日本文化の良さがいまこそ世界に必要とされている、というものです。日本語を大事にしつつ、これまでのような受身の英語ではなく発信のための英語の使い手を育てるべきだというのです。

明治維新から日本はずっと外国からの情報を受信し、自己改造につとめてきました。「欧米のこんなところが素晴らしい、見習いましょう」というやり方です。それは現在も「国際理解」というお題目で続いています。しかし、今や世界経済の牽引車となった日本がいつまでも受信のことばかり考えていてはいけないのです。すでに大国となった日本は自国が何を考えているのか、どうしようと思っているのかをもっと世界にむけて発信しなければいけません。

日本流英語を遠慮なく使う
英語習得の難しさを指摘して、全員に英語を流暢に使いこなすことなど望むべきではないとも著者は指摘しています。日常生活に必要でないものを小学校から必修にするなど学習時間と資源の無駄です。そして、学習するときは日本のことについて英語で書かれたものを読み書きするのが効果的だと言っています。ですから、英米の雑誌や新聞よりも日本で発行された日本について書かれた英字新聞などを読むほうがよいのです。そうすれば、書いてあることの予想がつき学習時の理解が容易になります。

また、日本人流の英語を書くことを恐れる必要はないとも言っています。いまや英語は英米人だけのものではありません。発音も文の並びも言葉は出て行った先の影響を受けて変っていくものです。イギリスとアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドといった英語圏ですらその差はあります。本家がどこかなどと考えず、日本流の英語を遠慮なく使っていいのです。


日本人はなぜ英語ができないか (岩波新書)
日本人はなぜ英語ができないか (岩波新書)
鈴木 孝夫

関連商品
ことばと文化 (岩波新書)
教養としての言語学 (岩波新書)
日本語教のすすめ (新潮新書)
日本語と外国語 (岩波新書)
危うし!小学校英語 (文春新書)
by G-Tools

« ことばと文化 | トップページ | ザ・タートル »

人文・思想」カテゴリの記事

コメント

はるさん、コメントいただきありがとうございます。

英語をふだんからお仕事で使っていらっしゃるはるさんに同感していただくと、うれしいですね。英語よりまず日本語でしっかり自分の意見を組み立てられる方がずっと大事だと私は思います。旅行英語程度のもなら小学校からやる必要などないし、そのうち翻訳機械のいいものが出てくるんじゃないかとすら思います。そろばんが計算機の登場で意味をなさなくなったように、小手先の英会話は10年ほど先には無用になっているかもしれません。

日本語は感覚言語がとても豊かですよね。オノマトペもそうだし、味、匂い、それに画家の千住博さんによれば色の表現も非常に多彩だとか。これはやはり、四季の細やかな変化に富んだ温帯に南北に長く伸びる火山列島なればこそだと思います。デリケートなものを肌で感じ取ることができるし、そこから日本語は生れているんですよね。

この本の著者の方が「日本人は自分の言葉を使えなくなるような目にあったことがないから簡単に日本語をやめようなどということを言う」と指摘されています。ジャパン・クールと言われるような、今まさに世界に広く認められつつある日本的なものたちのベースには日本語、日本の風土が深く関係していると思うのです。それに一番気づいていないのが日本人自身かもしれません。

COXさん、こんにちは〜♪
僕も全く同感です。僕は仕事柄から英語を日本語と同じぐらい使いますが、日本人の英語に対する大いなる誤解や劣等感はさっさと捨てた方が良いと思っています。(^_^)

日本人が英語について誤解していることは五万とありますが、典型的なのをいくつか挙げますと、

1)英語を読み書き話せる人はインテリである→とんでもない誤解です。英語圏では乞食でも英語を喋りますから、英語を使えることと頭脳の善し悪しとは全く関係ないことが分かります。

2)英語を話せる人は頭が良い→とんでもない誤解です。話す言語が日本語であろうと英語であろうと、問題は話の中身です。英語が喋れなくても日本語で素晴らしい思考力を持つ人は沢山います(ノーベル賞の益川先生とか)し、英語ができても話の中身がからっぽのエリートビジネスマンと言われる人々も沢山います。英語が話せる日本人の中には英語が流暢に話せるという自分に酔っていて、中身が何にもないことに気付かない人も多いです。

3)英語の発音が綺麗でない(いわゆるジャパニーズイングリッシュ)では恥ずかしい。→とんでもない誤解です。いわゆる標準語的な英語を喋る人口は世界に1億人もいないでしょう。あとの何十億人もの人は訛りとか母国語でないために訥々とした発音で話している人が殆どです。要は中身がしっかり伝わりさえすれば良いので、発音が綺麗かどうかなんてことは二の次三の次ですね。分かり易い例では、国連の元事務総長だったアナン氏が訥々とした発音で仕事をこなしていたことを想い出すと、話の中身が99%大切であり、綺麗な発音でなければ恥ずかしいなんてことは全くないことが分かります。

僕も単に仕事上で必要だから英語を学んだだけであって、それ以上でもそれ以下でもありません。英語を学ぶのにはボキャブラリーなどかなり沢山の時間が必要なので、英語を学ばずに済めばその莫大な時間をもっと別の方面に充てることができたなとも思います。

ただ、COXさんが仰有るように「言語というのは文化そのもの」ですから、日本語を母国語としていて、他言語として英語を学ぶことによって、日本の文化と英語圏の文化の違いを常に比較しながら学ぶことができるので、他国の文化と日本文化を理解する上では英語を学んだことはとても意味が大きかったと思います。日本語には味や匂いの言葉が何百種類とありますが、英語には20種類ぐらいしかないそうです。また、英語には怒りや恨みや憎みや反抗や復讐といった類の言葉が何百種類もあり、その多さにビックリしました。英語を学ぶことにより日本文化を学ぶことができる、というのは英語を学ぶことの大きなメリットだと思いました。(^_^)v

いつも示唆に富むトピックを提供して頂き有り難うございます。(^_^)/

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« ことばと文化 | トップページ | ザ・タートル »