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2009年7月14日

意識する心

◇◆第590回◆◇

4826901062意識する心―脳と精神の根本理論を求めて
ディヴィッド・J・チャーマーズ  林 一(訳)
白揚社 2001-12

by G-Tools

意識にある二つの側面をあきらかにする
心身問題に関して著者は、<意識>として取り扱われているものには心理学的概念と現象的概念の二つがあると指摘します。心理学的概念は、行動の因果関係づけや説明づけの中で定められます。学習や認知などおおむね心の機能的な側面です。これに対して現象的概念とは、ある主体にとってそうした特性をもつとはどういうことであるかによって定められます。主体が持つ感覚、「この感じ」として理解する主観的な側面です。

今、脳科学や認知科学でさかんに扱われているのは心理学的概念であり、これについての研究は比較的容易です。これに対して現象的概念は、あまりにもつかみどころがなく、全く手付かずといっていい状態です。著者はさまざまな立場で心身問題にとりくんでいる研究者の論を紹介し、この現象的概念には全くふれていない研究者がほとんどだと述べています。

唯物論では意識の説明はできない
おそらく、そういうところに入り込んでしまうと、身動きがとれなくなってしまうのでしょう。まだ今の段階では機能的な方面の研究がようやく始まったという程度で、心の内側の「この感じ」を具体的に科学の言葉で書き記すなどとうてい無理なのです。ここで著者は、意識は物理的なものには論理的に付随しえないこと、還元(唯物論)によって意識の説明はできないことを証明してみせます。

自分と物理的に同一であるが内的意識体験を全くもたないゾンビというものが想定可能かとの思考実験をおこなうのです。そして、認知科学、神経生物学、進化論などをもとに次々と出される還元による意識の説明は、認知の機能についての説明にしかすぎず、意識全体を説明するものにはなっていないことを示します。これらの説明は、なぜこうしたプロセスがそれぞれの内側に、ある特定の経験、ある特定の感じ、を生じさせなければならないのか、という理由を全く説明できないからです。

自然主義的二元論
唯物論を否定した著者は「自然主義的二元論」というものを提唱しています。二元論という言葉を使っていますが、心と脳は別物だといういわゆる古典的二元論を唱えているわけではありません。「意識はある偶発的な自然法則によって物理的実質から生じ、それ自体は物理法則に取り込まれない」というものです。この考え方に反科学的なものは全くないと著者は強調しています。現在の物理学の法則のみでは意識を理論の射程内に組み込むことができないため、新たな精神物理法則を見つける必要がある、としています。

まともに意識の問題にとりくみ、まともに科学の枠内で解決したいと著者は述べているため、こうした結論になるのでしょう。非物質的なものが介在する、とチラリとでも漏らしたらそれはもう科学ではない、と現在の科学の世界では思われているのでしょうから。はたして精神物理法則が見つかる日はくるのでしょうか?

汎心論も少し
第8章の「意識と情報---ある考察」に登場するサーモスタットは面白い例でした。意識の問題を考えるとき、さまざまなアプローチがありますが、これは一種の汎心論を指しているようです。意識が物理的なものに(精神物理法則によるにせよ)依存するとしたら、いったいどの段階から意識というものが登場するのでしょうか。著者は人間からどんどんレベルを下っていってイヌ、ネズミ、ナメクジそして最終的には三つの情報処理しかしないサーモスタットに考察の幅を広げます。

すべてのものが経験を持ち、意識をもつ可能性もあるわけです。これは私にとってはそれほど違和感のある考え方ではありませんでした。著者はひとつの可能性として汎心論を述べていますが、意識がどこから立ち上がるのかという根本的疑問へのひとつの回答としてはいいような気がします。といいながら、結局堂々巡りかもしれないなとも思います。

強いAIの可能性
最後に強いAIの可能性について、著者は積極的に支持しています。シリコンで生体をそっくりそのまま写し取ることができれば可能ということです。その場合、このAIは当然、彼か彼女独自の「この感じ」を持つ、と考えないとおかしなことになります。シリコンゾンビでは強いAIではないからです。AIの製品一体一体が違う内側の現象的意識概念を持つということになるでしょうか。恋をし感動するAIです。

パソコンからの類推ですが、人工知能の知の働き方と人間の知の働き方は何か根本的に違うような気がします。計算速度が速くなれば解決するというような問題ではなく。オートバイが人間より速く走れるからといって絶対に人間にはなれないようなもの、とでもいえばいいですか。人間のように内側に「真・善・美」を感じられるAIが果たして可能でしょうか。クオリアということですが、もしそんなAIが生れたら、それはもはや単なるAIではなく、人権をもつ人間ということになるでしょう。

こう考えると、人間とは何か、最も人間らしいこととは何かに行き当たるように思えます。本書の一番の功績は意識のハードプロブレム、クオリアという問題を明らかにし、意識の中の研究困難な場所はどこかを示したことでしょう。著者自身の考察はひとつの哲学的枠組みの例示です。


意識する心―脳と精神の根本理論を求めて
意識する心―脳と精神の根本理論を求めて
デイヴィッド・J. チャーマーズ David J. Chalmers

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