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2009年7月29日

自我と脳

◇◆第598回◆◇

4783501378自我と脳
カール・ R.・ ポパー&ジョン・C・エクルズ

大村裕 西脇与作 沢田充茂(訳)
新思索社 2005-02

by G-Tools

唯物論はそれ自身によって超越されている
心身問題について哲学者ポパーと神経生理学者エクルズがそれぞれの専門分野で論じ、最後に対談しています。二人は唯物論に反対する相互作用的二元論の立場をとっています。ポパーは、すでに唯物論は自らを超越したとして、現代物理学の成果をあげています。現代物理学は、時間上の変化を通じて対象の性質や属性を持続して担う本質は存在しないことを示唆しています。宇宙は物体、物質の集まりではなく、事象や相互作用、変換可能なエネルギーの集まりといった方が適切です。唯物論の”物”が超越されてしまっているのです。

唯物論は「この世界に新しいものは何もない」という最も古い哲学的ドグマに基づいています。唯物論あるいは物理主義は、物質は永遠であり、あらゆる変化は物質の運動に基づいており、変化とはそれらの物質の配列の変化であると主張します。現在の宇宙の発展生成、生物の進化など時間経過とともに自らを実現した可能性は、最初から潜在的に形成されていたと主張するのです。

宇宙最大の謎はわれわれの意識
ポパーはこれに反対します。彼は宇宙あるいはその進化は創造的であり、さらに人間が出現することによって宇宙の創造性は明白になったといいます。彼は「宇宙論の最大の謎は原初のビッグバンでも、なぜ無ではなく何かがあるかという問題でもなく、宇宙がある意味で創造的であり、生命を創り、そこから宇宙を解明するそれ自身創造的な心--われわれの意識--を作ったところにあると言いたい」と主張します。

ポパーはこの世界を、世界1(物理的対象の世界--元素、生命有機体)、世界2(主観的経験の世界--感覚意識、自我と死についての意識)、世界3(人間の心の所産--言語、自我と死についての諸理論、芸術と科学の諸成果)の三つからなるとしています。そして、人間が登場して初めて世界3が出現したのです。

世界1の出現は無から有が、さらには生命が現れたことであり、世界2は意識が現れたこと、世界3は人間のような高度な知的生命体の登場です。いずれも前段階ではその可能性さえ考えられないもの、といえます。

世界1・2・3
世界3についての考察が心身問題に関して新しい解明をもたらすことができるというのが、本書で提起されるポパーの主な推測のひとつです。第一にそれらは次の三つの論証として簡単に述べられています。

1)世界3の対象は抽象的であるが、実在的である。なぜなら、それらは世界1を変革する強力な手段である。
2)世界3の対象は人間がそれらの製作者として介在することを通してのみ世界1に影響を及ぼす。とりわけ、世界3の対象が把握されることを通して世界1に影響を及ぼす。そして、把握とは、世界2の過程、または心的過程であり、より正確には世界2と世界3が相互作用する過程である。
3)したがって、われわれは世界3の対象と世界2の過程がともに実在的であることを認めなければならない。

第二の論証として、もし三つの世界の相互作用を認め、その実在性を認めるなら、世界2と世界3の相互作用は、心身問題の一部である、世界1と世界2の相互作用の問題を理解するのにわずかながらとはいえ助けになります。

心身問題に関した第三の論証は人間言語の地位です。言語を習得する能力は人間の遺伝的構造の一部であるようです。一方、個々の言語を実際に学ぶことは遺伝子に制御された自然過程ではなく、世界3に制御された文化過程です。したがって言語学習は進化による遺伝的基盤を持つ性質が文化的進化に基づく学習と相互作用する過程です。これは世界1と世界3の相互作用という考えを裏づけており、世界2の存在をも裏づけるといえます。

人間は道具を作る動物であるとしばしば強調されていながら、人間の道具のどれひとつも遺伝的に決定されてはいません。そのなかで遺伝的基盤をもつように見える唯一の道具は言語です。言語に伴う知的成果は多大なものであり、それによって個人の人格、他人との関係、自らの物質的環境への関係に強いフィードバックの効果を持ちます。

世界3を形づくるものは?
唯物論といっても実にさまざまなものがあり、それぞれに古代ギリシャ哲学にまで遡る歴史をもっています。ポパーはこれらを大きく、徹底的唯物論あるいは徹底的行動主義、汎心論、随伴現象説、同一説の四つに分類し、それぞれに対して矛盾点、問題点を指摘しています。また、ポパーもエクルスもいわゆる超常現象を扱う超心理学の経験は持ち合わせていないのでそれには触れない、とも書いています。

では、相互作用する世界3を形づくるものは何なのか、となるとポパーが言うように「宇宙論最大の謎」というしかないのかもしれません。人間には解けない謎である可能性(少なくとも科学や哲学の道具では解明できない)は高いと思います。これらの説をひととおり読んでみて、最も自分にあう哲学を選び取るのが現段階では賢明なのではないでしょうか。真実を学者が証明してくれるのを待っていては、人生が終わってしまうからです。

本質主義の罠
ポパーは<何であるか>と問うことを本質主義と呼び、われわれの困難の多くがここにある、と述べています。つまり、いつの日か<心とは本当は何か>を見出せると望んでいることが困難のもとだというのです。これに関して、ポパーは物質を例に取り、「われわれはすでに物質の物理的構造についてたいへん多くのことを知っていながら、物質が何であるかについては知っていない」と指摘しています。<素粒子>という言葉を使ったところで、この語の適切な意味としての物質の<素>かどうかはわかっていません。

同様のことが心についてもいえ、わたしたちは心の本質については何も知らないけれど、構造については多くを知っています。心の目的活動、問題解決活動、睡眠中の無意識の活動、さらにさまざまな人格の豊かさと多様性について多くを知っています。そして、これらの究極的説明を求めるのですが、これが誤りなのです。物質現象の多元論的な知識を統合すること(遺伝暗号など)よりもこれはさらに統合が難しいものだからです。心について統合化された解答を期待してはならない、とポパーはいいます。

大脳とコンピュータの違い
ポパーは強いAIの出現については懐疑的です。人間の大脳の機能は計算することにあるのではなく、生体を導き、バランスをとり、生き続けることを助けることにあります。知的な心に対する自然の第一歩が生命の創造であるのはこの理由のためであって、そこがコンピュータとはまったく違う点です。人為的に知的な心を作ろうとするならば、同じ道をたどらねばならないと指摘しています。コンピュータはどこまでいっても道具であり、計算速度をあげればさらに役立つ道具になるだろうが、意識的な主観的経験をもつコンピュータをつくることはできない、とポパーは予測しています。


自我と脳
自我と脳
カール・R. ポパー ジョン・C. エクルズ Karl R. Popper

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