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2009年7月 1日

死の体験

◇◆第583回◆◇

4831871982死の体験―臨死現象の探究
カール・ベッカー
法蔵館 1992-06

by G-Tools

なぜ科学者は超常現象に抵抗感があるのか
著者はシカゴ生れ、本書執筆当時は京都大学教養部助教授、東西文化の死生観について研究を行っています。臨死体験に関して日本で出版された本の中では初期のものといえるでしょう。臨死体験がどのようなものかについては他にも出版物がいろいろありますが、本書のユニークな点は、臨死体験を単なる錯覚とか、それらを含めた超常現象を研究することを「科学ではない」と言って批判する一部の科学者の見解に反論を試みていることでしょう。

超常現象や臨死体験の記録は非常に古い時代から現代にいたるまで世界中で見られます。しかし、現代の科学教育を受けた人はそうした記録をおとぎ話、迷信として無視する傾向にあり、こうした研究の最先端を知らない科学者もこうしたことが現代科学に反するかのような見方をします。しかし、果たしてそれは正しいのか、それが真に科学的な態度といえるのか、著者は現代科学の方法論の代表として最先端の物理学を例に出しています。

現代物理学の到達点と超常現象
現代物理学の宇宙観は、西洋科学史のうえで第五段階目にあります。現代主流の宇宙観はハイゼンベルク=フォンノイマン理論(不確定性原理)です。それによれば、宇宙の根源にある要素は素粒子であり、その生成過程や行動すべてを観察できるという概念はすでに時代錯誤になっています。現代科学の先端の基本概念は人間の五感ではかることができた19世紀までの伝統科学とはあまりにもかけ離れており、それを適用しようとすることは見当違いですらあるのです。

日常レベルでは私たちは今も第二段階のデカルト(17世紀)か、第三段階のニュートン=ヘルムホルツ(18~19世紀)の理論といった、人間の通常感覚を裏切らない"科学"を科学と思い込んで生きており、そこからはずれるものは"科学的でない"というのですが、先端物理学の世界での素粒子のふるまい、さらにそれを語る科学者たちの言葉は伝統科学よりも古代神秘主義者の言葉に似ています。デカルト・ニュートン的な考え方は先端物理学の世界では遠い昔の話です。それなのに、それにこだわり続けるのは何ゆえでしょうか。

超常現象研究への批判に対する反論
超常現象研究を科学ではないとする批判は主に次の三つからなりますがそれぞれについても反論を試みています。

1)反復性がない
科学には実験科学と史実的科学があり、後者の場合、その出来事が歴史上一度しか起こらないので反復できない。天文学、地質学、火山学にはこうした事例は多い。また、実験科学の代表の物理学において、現在では確率が重視されており、厳密な反復性は要求されない。超常現象でも複数の被験者によってある程度の反復性を得ることができ、医学や社会学程度の反復性は可能。

2)理論不足
事実以前に理論が存在しなければならないという条件は科学にとって必然ではない。また、科学における「説明」は過程の叙述に過ぎない場合が多い。超常現象が現代の科学法則と矛盾するとしても、矛盾があるのは現象間の矛盾ではなく、人間が作った定説と現象との間にある矛盾であり、現象そのものではなく、定説の不具合を疑うべきである。

3)起こる確率の低さ
「奇跡は自然法則に反する」と哲学者ヒュームは超常現象を批判しているが、それは自然現象がすべて知り尽くされており、それに従って法則が組み立てられているとすればの話であって、現時点ではそのようなことはありえない。哲学者ドゥカースは未解明の事象や影響を認める能力をもっていないのは科学者の職業病、と批判している。

なぜ超常現象研究を受け入れようとしないのかの背景
高名な科学者が超常現象に抵抗を示すことは珍しくありません。それが何ゆえかについても考察されています。

1)認知的不協和に対する心理的抵抗
認知的不協和とは、期待に反する事実を無意識のうちに無視あるいは否定すること。人間には本能的に変則を嫌う傾向があり、そのために認識の体系に該当しない事物を受容するよりも、期待どおりの認識をするよう潜在意識が五感の知覚を歪めてしまう。新しく発見された事実は、現存の理論に従うよう歪曲されてしまう。

2)パラダイムの転換に対する思想的教育
科学者は一般的に自分の研究と直接関係し、研究を有利にする理論を積極的に勉強するが、他の理論には極めて関心が低い。科学哲学者クーンは、科学界は長い年月と努力によって一貫性のある宇宙観と方法論を確立し、それを次世代の科学者に教え込み、忠実に継承することをなかば強制する、と述べている。パラダイム転換への抵抗が大きいほど超常現象を受け入れにくい。

3)異端に対する宗教的抵抗
宗教自体は人間の宇宙観をかつてほど支配していないものの、多くの人は死や他界に対して深い思い込みを持っている。「死後は何もない」というのも「死後は仏になる」というのと同様ひとつの思い込みである。宗教のドグマと大差ない。

4)嘲笑を恐れる社会的抵抗
超常現象研究は方法論や仮説の構造に欠陥があるというよりも、社会的な圧力によって新しい学問として確立されていない。科学の教育を受けた現代人のほとんどは、嘲笑を恐れて超常現象に関する情報を無視しようとする。またオカルトや新興宗教と混同される危険性が常につきまとっている。

臨死体験研究が意識の研究に与える意味の大きさ
脳と意識の関係について、現在はまだ脳が意識を生み出しているという考え方が主流でしょう。これは20世紀以降脳の作用を科学的に解明するために医学や生物学が脳を単なる計算機のごとく扱うようになり、さらに、マルクス主義や実存主義の唯物論と併せて、脳・意識同一説が唱えられるようになったことが大きいでしょう。これによれば、意識は脳が生み出すもの、脳以外のなにものでもないということになっています。

ここから、意識とは何かを探るうえで臨死体験や体外離脱といったものがどれだけ大きな意味をもっているかがわかります。もし、脳が死んでいたり、そこにないのに意識が存続し何かを体験し続けるとしたら、人間が経験している主観的な意識と、生物学者が研究する物質的な脳とは、密接な関係を持ちながらも別のものであるといわざるをえなくなるからです。そして、人間とは何かの定義すら覆る可能性があります。

死の体験―臨死現象の探究
死の体験―臨死現象の探究
カール ベッカー Carl Becker

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