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2009年6月15日

ニュー・アース

◇◆第577回◆◇

4763198726ニュー・アース -意識が変わる 世界が変わる-
エックハルト・トール 吉田 利子(訳)
サンマーク出版 2008-10-17

by G-Tools

目覚めることは、いまに在ること
「目覚める」とか「悟る」とかいうのは実は非常に簡単だということが具体的に書いてあります。しかし、それがあまりに簡単であるがゆえにほとんどの人間は目覚めることも悟ることもできない、という悲しい現実があります。自分の額や背中に真実が書いてあるようなものです。近すぎて見えない。目覚めるとは、いまに在ることだ、と著者は繰り返し述べています。これは古今東西の霊的教え、キリストから禅まで言葉をかえ、比喩をかえして語っていることです。

私たちはいまに在ることができません。これがどんなにはっきりしているか、自身の思考の動きを注意深く見ていればわかります。注意深く見ることすらできない、というのが実態でしょう。思考は常に過去か未来へとさ迷い出ます。私たちが生きられるのはこの瞬間でしかないのに、思考はそこにとどまるのが嫌いで、どこか他所へ行こうとします。そうして今にいられなくなってしまうのです。

意識的に生きる
いまに在る、とは意識的に生きることです。思考はあなた自身ではない、と著者はいいます。思考はエゴであり、ものごとや人や状況に言葉や判断のラベルを次々と貼り付けていきます。この度合いが高いほどその人の世界は生命力を失って浅薄になり、現実をいきいきと感じ取れなくなります。そのために小賢しさは身についても智慧は失われてしまいます。思考も言葉も判断も道具にすぎないのに、それに振り回されているのが目覚めていない状態です。

すべての心の活動の核心は、繰り返ししつこく反復される思考、感情、、反応パターンでできていて、人はそこに自分を最も強く同化しています。そこから離れることができないのです。自分の心に取りつかれている状態とすら言えます。この反応パターンが「エゴ」です。エゴの特徴は「私の」という言葉でモノに執着することです。そして、エゴには形として意識されるものしか認識できないという特徴があります。

内なる空間に気づく
しかし、本当の私たちは形であらわされるものをはるかに超えた存在です。モノへの執着度の高い人ほどこのことが理解できません。言葉の説明ではなかなか無理なのでしょう。著者はひとつの例として、空間の存在をあげています。夜空に無数の星を見ることが出来ます。それはそれで、驚異ですが、その星たちをすべて中に入れて存在している「空間」というものの凄さにはなかなか気づくことができません。

形になっていない、形をすべて入れて支えているもの、形自身からは認識することも把握することもできない何か、それらが私たち自身の本当の姿なのです。私たちの身体も宇宙空間に似ています。目に見える身体を構成する原子の間はほとんど空間であり、電子顕微鏡で見れば私たちの身体はがらんどうといえます。その空間に満ちているもの、それこそが生命力であり、形の後ろに隠れた本質なのです。

エゴのラベル貼りに気づく
エゴがどのような働きをするか、その最も代表的なものは、観念的な自己意識(自分はああだこうだという思い)です。だからエゴはさまざまな手段を使って心理的なエネルギーを他者からもらおうとします。それは承認や賞賛といった形だけでなく、他者を恨んだり、誰かのせいにして被害者になるという手も使います。

人生で最も根源的で重要な関係は、どのような出来事であれ、「いま」という時がとった形との関係である、と著者は述べています。私たちは形に全面的に同一化して、形という牢獄に囚われています。私たちの現実では、何かを認識するとすぐに、エゴがラベルを貼り、解釈し、好悪や善悪を決めます。そうして思考の形とモノの意識に閉じ込められているのです。この無意識のラベル貼りがやまない限り、少なくともその行為に気づいて観察できない限り、目覚めはありません。

私たちが五感でとらえ、思考できることは現実の半面でしかありません。それ以外は把握することができない「空間」なのです。これをイエスは「天の王国あるいは永遠の命」と呼びました。現実を作り上げているのは思考と思考でないもの、形と形でないものです。人間の問題はあまりに移ろう形の世界と中身にばかり夢中になって、それらを超えた本質を忘れていることです。

呼吸を観察する
形がない次元とは、世界が立ち現れては消える明るい空間です。その空間が生命であり、「私は在る」ということです。そこには時間はありません。永遠であり、時間を超越しているのです。空間のなかで起こることは相対的であり、一時的です。喜び苦しみ、獲得と喪失、生と死…。相対的な形の世界の底流にある本質を意識できるようになるための最も簡単な方法は、呼吸を観察することです。

できるだけ頻繁に思い出すたびに呼吸を観察します。坐禅を組んだり特別なことをする必要はありません。何をしているときでも、気がついたときにそれを観察するだけで、いやおうなしにいまこの瞬間に「在る」ことになります。未来や過去に思考を飛ばして上の空になっているときに呼吸を観察することはできません。呼吸には形がなくごくささいなことに見え、いつでもどこでも私たちがいるところにあります。特別な手間も費用も不要であるにもかかわらず、最高の瞑想法になりえるのです。

人生の真の目的は外の世界には見つかりません。それは私たちが何をするかではなくて何者であるか、つまり私たちの意識状態にかかっています。大きなことをしたい、何かを達成したいという人は大勢います。しかし、そのために未来だの目標だのに意識を飛ばしてしまうのはではなく、まず「いまに在る」ことが大事なのです。いまこの瞬間と自分自身を調和させることができたとき、大きな力にアクセスすることができます。というよりも、私たちを通じて、そのとき宇宙の知性が流れ出し、創造し始めます。

ニュー・アース -意識が変わる 世界が変わる-
ニュー・アース -意識が変わる 世界が変わる-
エックハルト・トール 吉田 利子

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コメント

ブースカさま、コメントいただきありがとうございます。

瞑想は多分、簡単にできるものの方がいいと感じます。
今、法然に凝っていて、続いて読んでいるのですが、
念仏を唱えるというのも簡単にできる瞑想のひとつに
成り得るでしょう。

思考からしばし自由にしてくれる手段、それであれば
何でも瞑想になる気がします。

小賢しさが身についても智慧が失われてゆく・・。
心から同意いたします。

自分の瞑想も難しいものではありません。
目を閉じて呼吸に意識を向け長く吐きゆっくり吸う
だけです。我流に近いものです。

たったこれだけで大きな変化がありますね。
もしこういう事に気が付かなかったら
自分はもう崩れていたかもしれないと思って
います。

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