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2009年4月16日

ケアの本質―生きることの意味

◇◆第551回◆◇

4946509119ケアの本質―生きることの意味
ゆみる出版 1987-04

by G-Tools

ケアすることによって生きることの意味を見いだす
本書では「ケア」を看護や介護といった対人援助的な事柄としては使っていません。そうしたこともケアに含まれますが、ここではもっと広くとり、人が生きていく上で大切な心構え、といった意味合いで使われています。ケアの対象としては、人はもちろん、職務や作品というものも含まれています。副題が示すように、人は何かに向かってケアするとき、本当に生きることの意味を見いだすことができる、と主張しています。

ケアとは、他者の成長を助けることです。これは親が子を、教師が生徒を助けるといったことはもちろん、友人同士がお互いの友情を育むことや作家が自分の芸術作品の発展を助けるといったことも含まれています。他者が成長するのを援助するとき、ケアする人は自分の方針を押し付けたりはしません。むしろ、他者の成長の方向を見ながら、それがケアの方向を導いてくれること、どのように応答すべきか、何が適切か、を判断します。

ケアに不可欠な専心
著者はケアにとって本質的なものとして「専心」をあげています。専心によってはじめてケアはケアたりえるのです。ケアはさまざまな困難や障害を乗り越える過程の中で発展していきます。専心はその人自身が他者のなかに感じ取っているかけがえのない価値によって支えられ、首尾一貫性によって示されます。専心がなければケアすることは失われてしまう、とさえ言っています。

ケアすることには専心を求められることから、当然のこととして忍耐強さ、正直であること、信頼していること、謙遜、希望を持つ、勇気を持つといったことが要求されます。こうしたことをないがしろにしてはケアはケアたりえないのです。

世界の中に自分の場を発見する
本書を読んで連想したのはフランクルのロゴセラピーです。あなたが人生に意味があるかどうかを問うのではなく、人生からあなた自身が意味を問われているのだ、といったフランクル。人生に意味があることに賭ければ、人生は意味を与えてくれるのです。本書も、ケアすることによって人はこの世界で「場の中にいる」ことができるようになり、生きる意味を見出すことができるようになる、といっています。

人は世界の中に自分の場を発見することによって自分自身を発見します。与えることによって与えられ、人生の意味を見出し、そのことのありがたさに対する感謝の気持ちが内側から湧き上がってくるでしょう。

著者はニューヨーク州コートランドにある州立大学の哲学教授です。原文がどのようなものかはわかりませんが、本書はかなり直訳調が目立ち、読みやすい日本語とはいいかねます。しかし、示唆に富んでおり、有意義な内容はじっくり吟味しつつ読むのにいいのではないか、と思います。


ケアの本質―生きることの意味
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コメント

はるさん、コメントいただきありがとうございます。

ケアすることのポイントを「専心」におき、専心によってケアしている人自身がいただくものの大きさ、ということを著者は主張しているのだと思いました。

見返りを期待してする行為というのは「ひもつきの援助」であって、そこからは本当のケアは生まれてこないのでしょう。「誰のおかげで」と口走る親はそれだけで大事なものを失っているということです。

子育てだけでなく、芸術家が作品に専心したり、ということも取り上げられていました。天才と呼ばれる人たちというのはこういうことが自然にできてしまう人たちなのだと思います。彼らを駆り立てるものがあり、彼らはそれに専心し、身も心も捧げる、そうすることによって捧げられた芸術なりなんなりが彼らに十二分な何ものかを与えてくれるのでしょう。

成功したスポーツ選手やアーティストを、世間は「金を稼ぐ」ということで見がちですが、実はそんなことではないんだ、と思います。彼らをひきつけるのはそんなものではなく、もっと根本的な「専心」から与えられる言うにいえない何かだと。

そしてそれは多分、巨大な才能に恵まれた人のものだけではなく、わたしたち誰もが発見しうるものなのだ、と思います。お金や名誉や感謝やなんやかんやに目がくらむから逆に見失ってしまう、そういうものなんでしょう。

外面ではなく心の内を見て、そこからの呼びかけに応え、専心すれば、道は見える、そういうことを言っているのだろうな、と思いました。

COXさん こんにちは〜♪

僕もほんの10年程前まではケアについて全くの誤解に基づいた考え方を持っていました。
家族や親や兄姉や隣人や顧客など、人に対する様々なケアというのは、自己犠牲を伴うものであり、当然見返りがあるものである、という考え方を持っていました。
その考え方が根本的に間違っているということを、子供を育てること、その他諸々のことによって知りました。子供を育てるのは心理的、体力的、金銭的、時間的にとてもたいへんなことですが、どんなに負担があっても見返りを求めないものですね。育児をしてゆくうちに、見返りを求めないどころか、負担という気持ち自体が間違っていて、さらにケアというのは子供だけでなく、世の中のあらゆる人、場合によってはペットや愛用品にまで敷衍できるものであることを徐々に理解しました。
まだまだ親や他人さまのケアには「負担」という心理が抜けませんが、ようやく一歩だけ前に進んだような気がします。
まだまだ煩悩のただなかにいる自分ですから、精進を続けたいと思います。(^_^)

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