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2009年4月23日

ユング自伝―思い出・夢・思想

◇◆第552回◆◇

4622023296ユング自伝―思い出・夢・思想 (1)
C・G・ユング 河合 隼雄 (訳)
みすず書房 1972-06

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内面生活に焦点をあてた特異な自伝
副題の「思い出・夢・思想」が示しているように、ほぼ全編ユングの内面に起こったことが記されており、一般的な自伝とはかなり趣が異なります。父母のことを除けば、友人、家族などはあまり出てきません。これを読むと、他のいわゆる自伝がちょっと物足りない気がしてきます。自伝といわれるものの多くが実は外面的な物事の羅列にすぎないと気づくからです。ただ、こんな自伝を書くことができるのはユングならではなのかもしれません。

ユングは幼少期からかなり特異な体験をしています。牧師の子として生まれながら、伝統に染まったキリスト教徒としての生活には違和感を覚えていました。また、霊的な要素を強く有しており、そうした側面がユング心理学を形づくっていったことは間違いありません。子どものときから自分の中に二人の人格(スイス人の少年としてのNo.1と老賢者としてのNo.2)がいることを自覚しています。

幼少期からたびたび象徴的な夢を見ており、それを詳細に記憶しています。自伝を書いたときすでにユングは80歳を超えていたわけですから、これほど鮮明にそれらの夢を覚えているのは驚くべきことです。さらに分析家としてそれらの夢の象徴を説いて見せています。キリスト教、錬金術などのベースを持った象徴が何度も登場します。ですから、そうしたものに対する文化的ベース、教養がないと完全な理解は難しいでしょう。

霊的な素養の持主
ユングの霊的な素養は母方から受け継いだもののようです。両親の結婚生活はあまりうまくいっていなかったと書いています。父は牧師でありながら、本当の意味での霊的な生活や信仰を体験として持っていたとは言い難かったようです。

ユングが精神医学者になることを決意する契機となったのは、自宅で起こった霊的な現象でした。母の隣にあったテーブルがいきなり大きな音を発して割れたり、自宅の棚にしまわれていた鋼のナイフが砕けるという事件があったのです。こうした素養が彼を優秀な精神分析家にした面は少なくないと思われます。

理屈以前に体験として人の内面の重要性を知っており、人生の諸問題について安易な外面にこだわった悪い回答に逃げ込むとき、人は神経症的になると述べています。これらの人々は地位、結婚、名声、お金といった外面的な成功を手にしても不幸かつ神経症的な状態から脱け出せません。これらの人々の生活は十分な内容と意味を持ち合わせていません。人格の発達を目指して、最奥の体験へ達する必要があるのですが、多くの人は恐怖に打ち負かされ逃げ出してしまうのです。

臨死体験と死後の生
69歳のときに心筋梗塞と脚の骨折によって臨死体験と思える経験をしています。地球をはなれ高みから見下ろしているユングを連れ戻すために、主治医が原初的形態としてやってきます。これで彼は生き返るのですが、そのことに不満を抱くと同時に主治医の命が危ないと危惧します。そして、間もなくその心配どおり主治医は亡くなるのです。

「死後の生命」という章をもうけてそのことについても考察しています。死後の生活について、そういうものがあると欲しているわけではないが、それらは存在し、偏見によって抑圧しなければ、表現力を与えられると述べ、次のように言っています。

----批判的な合理性は、死後の世界についての考えを多くの神秘的な考えと共に、除去してしまったようである。これは、現代では殆どの人が、自分と意識を同一視し、自分について自ら知っていることのみが自分であると考えているためにこそ、生じたことである。しかし、このような知識がいかに限定されたものであるかは、心理学を生かじりしたものでさえ明らかである。合理主義と教条主義は現代の病である。つまり、それらはすべてのことについて答えをもっているかのように見せかける。しかし、多くのことが未だに見出されるだろうに、それを、われわれの現在の限定された見方によって、不可能なこととして除外してしまっているのだ。

----不幸にも、現代では人間の神話的な側面はあっさりと片づけられてしまっている。人間はもはや神話を創り出そうとはしない。その結果、多くのことを人間は失っている。(中略)われわれは、全く異なった法則によって統制されている他の世界を心に描き出すことはできない。それはわれわれが、われわれの心を形づくり、基本的な心の状態を確立するのを助けるような特殊な世界に住んでいるからである。

知性と理性の問題点
知性や合理性のみで人の心をとらえようとすることの落とし穴をユングは指摘しているのです。人はさまざまなので、死後の生などぞっとするという人もあります。しかし、大多数の人にとってこの人生をより意味深く生き、よりよく感じられるようにするためには、死後の生命の問題は避けて通れません。ユング自身は、その観点をかたちづくる努力を払うことの重要性を強調しています。そして、そのために無意識からおくられてくるヒント(たとえば、夢)の助けを借りることを勧めています。

不死の問題についてユングは、「われわれが知ることのできないことであるならば、われわれはそれを知的な問題としては捨て去らねばならない」と書いています。たとえば、知的な問いかけはこの宇宙が存在するに至った理由を見出すことは決してないでしょう。このような問題は、科学的、知的な問題からははずさなければなりません。しかし、夢や象徴としてそれが示されるならば人は、個人としてひとつの概念をつくりあげるべきなのです。

理性の問題点は、私たちにあまりにも狭い境界を設定し、既知のことのみを受け入れてその枠内で生きていくようにせしめることです。批判的な理性が優勢になればなるほど人生は不毛なものになり、より多くの無意識や神話を意識化できるほど人生は統合度の高いものになる、とユングは言います。ユング自身が理性ではとうてい説明がつかないような経験を数多くしており、だからこそ説得力があるのです。


ユング自伝―思い出・夢・思想 (2)
ユング自伝―思い出・夢・思想 (2)
C.G.ユング A.ヤッフェ 河合 隼雄

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