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2008年7月 4日

理性の限界

◇◆第481回◆◇

4062879484理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書 (1948))
高橋 昌一郎
講談社 2008-06-17

by G-Tools

理性の限界を架空のディベートで明らかにする
人間がさらに進歩すれば、究極の完全なる政体、あらゆるものを解明し予測する科学、世界のすべてを証明する理論体系が見出されるはずだ、と今も考えている人はいるでしょうか。それらがすべて人間の限界の外にある、ということがすでに証明されています。生身の人間が100mを5秒で走る日が永遠に来ないように(肉体の限界)、人間理性の限界があること、それについて架空のシンポジウムでのディベートを通じてわかりやすく解説してあります。

選択の限界---アロウの不可能性定理
完全なる民主主義がありえないこと、投票とそれによる選択には常にパラドックスがつきまとうことを「選択の限界」と本書では呼んでいます。そしてそれを数学的に証明したのが経済学者ケネス・アロウでした。それゆえ、「アロウの不可能性定理」と呼ばれます。本書では、アメリカやフランスの大統領選挙で露わになった矛盾、ゲーム理論、チキンゲームなどを例に出し、さまざまな立場の人が自己の主張を展開する形でこれを読ませてくれます。

科学の限界---ハイゼンベルクの不確定性原理
次が科学についての限界を示す「ハイゼンベルクの不確定性原理」です。一般に、電子の位置と運動速度を同時に知ることはできない、という説明で知られています。ディベート中でも出てきますが、これは観測機器の不備によって観測できない、という話ではありません。もっと不可思議なものがそこにはあります。

電子のふるまいの奇怪さは二重スリット実験によって有名になりました。電子銃で電子を一個ずつ二重スリットに向かって打ち出し、その先のフィルムに感光させるという実験です。これによって、一個の電子が二重スリットを同時に通り抜けているとしか考えられない結果が得られたのです。電子は幽霊のようなふるまいをしている、といえます。

自然科学の根底にあったのは還元主義であり、物質を究極のところまで分解し、その究極のものがどのような性質をもち、どのような動きをするかを把握すれば、自然界のすべてはそれを基盤になりたっているのだから、あらゆる自然現象の説明がつけられるようになるはず…、というものでした。しかし、究極に近い物質であるはずの電子のふるまいがこのように奇怪なものだということが実験によって明らかになったのです。

知識の限界---ゲーデルの不完全性定理
最後は、知識、論理の限界を示す「ゲーデルの不完全性定理」です。あらゆる証明の中で数学的証明はもっとも厳密さを要求され、数学的に証明されれば、それは磐石とみなされます。そこで、1930年ごろ、あらゆることを数学的に証明しようとした「ヒルベルトプログラム」が試みられ、数学者から大きな期待が寄せられていました。ところが、その最中にクルト・ゲーデルが数学的証明は完全にはなりえないことを、数学的に証明してしまいました。

この簡単な例を「私は嘘つきである」という言葉で示すことが出来ます。もし私が嘘つきなら、この命題は偽となります。しかし、もし私が嘘つきでないなら、やはりこの命題は偽となり、パラドックスが生じてしまいます。

神、そして人間のこと
本書は最終的に西洋科学や哲学の古典的問題、神のことにもふれています。不完全性定理があらゆるシステムに適用されるなら、神も不完全なのか、という問題です。ここで、意見はいまも二つに分かれているのです。不完全性定理が神の非存在の証明だという人と、神は人間の限界など超越しているから神なのだという人と。

これは人間についてもあてはまります。現代科学の認識論の最先端の科学者にも人間機械論の立場をとるダニエル・デネット、リチャード・ドーキンス、スティーブン・ピンカーなどがあり、それぞれ、人間は「利己的遺伝子を運ぶ生存機械」とか「自然選択に基づく神経コンピュータ」だとか定義しています。

一方、人間精神はいかなる有限機械をも上回る、人間精神は脳の機能に還元できない、と考えている人たちもいます。不完全性定理を証明したゲーデル自身がそうでしたし、ジョン・ルーカス、ロジャー・ペンローズなどもそうです。この主張の背後には、単純化すれば、不可能性・不確定性・不完全性を証明するためにはアルゴリズムに還元できない(本書ではテューリング・マシンを例に出しています)思考力が必要だという考えがあります。人間はテューリング・マシン以上の存在だという主張です。

本書では最後に、「理性の限界」といった重要な問題が現実世界ではあまり論じられていないことについて、ノーベル賞を受賞した経済学者アマルティア・センの「合理的な愚か者」という言葉を紹介しています。センは多くの人びとが、研究者や学者でさえ、すぐに結果を出せるような手っ取り早い目先の問題ばかりを追いかけていることを指摘しています。広い視野をもってさまざまな角度から問題を見ることが、一見要領は悪いようでも”社会的「善」”を達成するためには大切なことなのです。

理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)
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高橋 昌一郎

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