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2008年6月23日

墨汁一滴

◇◆第475回◆◇

4003101340墨汁一滴 (岩波文庫)
正岡 子規
岩波書店 1984-01

by G-Tools

子規三大随筆の最初の一冊
正岡子規は35年の生涯ながら、近代日本の俳句、短歌、小説、随筆などあらゆる分野において多大な影響を与えました。22歳で初めて喀血、その後、30歳で脊椎カリエスと診断され、臀部に穴があき膿が出るようになります。『墨汁一滴』は、ほぼ寝たきりの状態となって三年目の1901年1月から7月まで、新聞『日本』に連載されました。死を常に意識せざるを得ない状態の中で、子規が何を思っていたのかを感じ取ることができます。

末期の脊椎カリエスがどれほどの苦痛を与えるものかが次のように書かれています。---発熱は毎日、立つ事も坐る事も出来ぬは勿論、この頃では頭を少し擡(もた)ぐる事も困難に相成(あいなり)、また疼痛のため寐返り自由ならず蒲団の上に釘付にせられたる有様に有之候。疼痛烈しき時は右に向きても痛く左に向きても痛く仰向になりても痛く、まるで阿鼻叫喚の地獄もかくやと思はるるばかりの事に候。(4月20日)

明るいユーモアと客観
それでも、随筆全体は明るく、俳句、短歌への批評、部屋の中のさまざまなもの、窓から見える景色、聞こえてくる音、贈られた鳥かごに飼った小鳥たちの様子、幼い頃の思い出、たずねてくる人々との交流など、日々いろいろなことを書いています。このような状態の中でも子規は絵を描く試みをしており、病床の楽しみとしていたようです。

また、子規の最大の楽しみは食べることだったようで、さまざまな食べ物のことも書いています。この時代に全国各地の名物、さらにアメリカ産のみかん(オレンジ?)まで食べており、今なら”お取り寄せ”の大家になっただろうな、と思えます。

この頃は左の肺の内でブツ/\/\/\といふ音が絶えず聞える。これは「怫々々々」と不平を鳴らして居るのであらうか。あるいは「仏々々々」と念仏を唱へて居るのであらうか。あるいは「物々々々」と唯物説でも主張して居るのであらうか。(4月7日)、と書いたり、閻魔大王とのやりとりをコントにしてみせるなど、病苦の日々を、ユーモアと客観を持って見つめようという姿勢もみえます。

この随筆が書かれたのは20世紀が始まった年です。子規は枕辺におかれた地球儀を見ながら、21世紀の地球はどうなっているだろうかと想像しています。このあたりに子規のエネルギッシュなスケールの大きさが現れています。この後、病状はさらに悪化し、一年後の9月19日に亡くなっています。

この激烈な病苦がさらに一年余りも続いたのか、と思うと痛ましいばかりですが、子規はこのあとさらに『仰臥漫録』『病牀六尺』という随筆を書いています。


墨汁一滴 (岩波文庫)
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