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2007年12月24日

ライフ・レッスン

◇◆第431回◆◇

4042920020ライフ・レッスン (角川文庫)
エリザベス・キューブラー・ロス デヴィッド・ケスラー
角川書店 2005-08-25

by G-Tools

本当の意味で人生を生ききるために
終末期医療のパイオニアであるキューブラー・ロスと、その弟子であり、友人でもあるホスピスケアのスペシャリスト、ケスラーの共同著作。キューブラー・ロスの遺作でもあります。人はこの世にレッスンを受けるために生まれてきている、そのことを数多くの死にゆく人たちを看取ったふたりは確信しており、そのレッスンについて十四章に分けて述べています。はっとするような含蓄に満ちた言葉が記されており、何度もくり返し読みたい本です。

死に直面した人々はその段階で最後の人生のレッスンを学ぶ機会が与えられます。ふたりはそれを身近で経験し、多くの末期患者が、この病気になって幸せだった、そうでなければこんな風に成長することはできなかった、と語るのをきいています。本書は、死が差し迫った現実のものとなる前に、生の只中にある間にその真実を学ぶには何をどうすればよいのか、のヒントを与えてくれます。

「ほんものの自己」のレッスン
ほんものの自己に立ちかえることは、人間の自己というものの完全性をひきうけることである。そこには、わたしたちが隠したがる暗い側面もふくまれているかもしれない。人間は善なるものに惹かれる存在だと思われがちだが、じっさいに惹かれているのは善でも悪でもなく真正なもの、ほんものなのだ。(DK)

愛のレッスン
愛に付帯する条件は人間関係の重荷になる。だから、その条件をとりはらえば、あらゆる意味で、おもいもかけなかったような愛がみえてくる。無条件の愛をあたえるさいに最大の障害になっているのは、あたえた愛が報いられないのではないかという恐れである。わたしたちは、自分がもとめている愛がうけとるもののなかにではなく、あたえるもののなかにあることに気づいていないのだ。(EKR)

人間関係のレッスン
無意味な人間関係、偶然の人間関係などというものはない。配偶者から顔も知らない電話交換手まで、どんな出あい、どんな交際でも、幸福な関係でも不幸な関係でも、幸福でも不幸でもない関係でも、つきあう時間の長短や親密さの度合いのいかんを問わず、そこには意味がある。ものごとを大きな目でみれば、あらゆる人間関係には重要な意味がひめられている。(EKR)

喪失のレッスン
われわれのほとんどは、人生が喪失であり、喪失が人生であることを理解せずに、喪失に抵抗し、それと格闘しようとする。喪失は人生でもっとも苦しいレッスンのひとつではあるが、人は喪失なくしては成長できず、喪失なくして人生を変えることはできない。(中略)もしあなたが喪失の痛手に苦しんでいるとしたら、それは、それだけ人生の祝福をうけていたからこそである。(DK)

力のレッスン
人間は内部に大きな力をもっているが、その使いかたには無知同然である。真の力は、真の自己を知り、世界における自己の立場を知ることから生まれる。富や経歴を蓄積する必要性を感じるのは、自分がほんとうはだれであったかをすっかり忘れているときだけである。だから、おもいださなければならない。すべてはうまくいっている。なるべくしてなっていると知ることから力が生まれるということを。(EKR)

罪悪感のレッスン
罪悪感という心理は自己の判断に根ざしている。(中略)われわれは他者の親愛の情を得るために自己を売るべく育てられてきた。(中略)真の独立や相互依存よりは、共依存すべく訓練されてきた。他者の欲求を重大視して、自己の欲求を軽視するような傾向である。(中略)共依存の特徴的な症状は「ノー」といえないところにある。(中略)われわれは小さなときから、大声ではっきり「ノー」ということを学ぶべきである。(DK)

時間のレッスン
われわれの努力目標はこの一瞬をじゅうぶんに経験することにあり、それはじゅうぶんにやりがいのある目標である。この一瞬のなかに幸福と愛につながるすべての可能性があり、未来はこうあるべきだという期待のなかにその可能性を埋没させてはならない。未来への期待をすてることによって、いまここで生起している聖なる空間のなかで生きることができるのだ。(DK)

恐れのレッスン
人生がわたしたちにあたえるものの多くは、恐れや心配などの前兆なしに、いきなりやってくる。恐れが死の進行をとどめることはない。恐れがとどめるのは生の進行である。大部分の人がかんがえている以上に、わたしたちの人生の多くは恐れとその波及効果への対処に費やされている。恐れはすべてをさえぎる影である。愛、真の感情、幸福、そして存在そのものが恐れの影にさえぎられている。(EKR)

怒りのレッスン
処理されない恐れは怒りに転化する。恐れの感情を無視しているとき…あるいは自分が恐れていることに気づかないとき…、恐れは怒りに転化していく。その怒りにも対処しなければ、それは癇癪になっていく。(DK)

遊びのレッスン
「遊びがなぜ人生のレッスンになるのか」という問いに対する答えは、死の床にある人たちの後悔のなかにみいだすことができる。自分の人生をふりかえったとき、かれらがいちばん後悔するのが「あんなにまじめに生きることはなかった」ということなのだ。(中略)わたしたちは生涯愉快にすごし、遊ぶために地上に生まれてきた。(中略)あまりにも多くの人が、たえず生産的であり、いつも成功し、つねに達成することにとらわれすぎている。なにかを「する」方法は知っていても、生き物として「ある」方法は知らないのだ。(DK)

忍耐のレッスン
忍耐力を養うための最初のステップは、ものごとを調整したい、変えたいという欲求を捨てることからはじまる。それは、たとえそうはおもえなくても、あるいはそれがみえなくても、ものごとは理由があってそうなっているのだということへの気づきである。なにかを変えようとして変らなかったら、それは変らないものだとかんがえたほうがいい。ものごとのプロセスと展開にたいして、信じてみることをこころがけたほうがいい。(EKR)

明け渡しのレッスン
死のまぎわにかぎらず、どんなときも、人は自分を明け渡すことによって、かぎりない平和をみいだすことができる。(中略)困難な状況のなかに善性や教訓をみいだすのは、かならずしも楽なことではないかもしれない。(中略)なにが「よくない」のか探すよりも、ものごとをあるがままにみて、それで「いい」とおもってみてほしい。ものごとがなぜおこるのか、その理由をほんとうに知っている人などいるはずがない。(中略)人生には謙虚さが必要だ。なぜなら、いのちは神秘であり、謎であるからだ。(EKR)

許しのレッスン
許しとは、相手に「わたしを傷つけてもいいのよ」ということではない。許しとは恨みをいだいていると不幸な人生を送ることになると気づいて、自分自身のために、うけた傷を手放すことである。許せないとおもっている人は、自分が罰しているのはほかならぬ自分自身であることをおもいだす必要がある。

幸福のレッスン
たいがいの人は幸福というものを、あるできごとにたいする反応としてかんがえているが、じっさいの幸福とはこころの状態のことであり、周囲でおこることとはほとんど関係がない。(中略)自分を幸福にするために必要なものはすべてあたえられている。わたしたちはただ、自分にあたえられているものの使い方を知らないだけなのだ。(中略)幸福になるかどうかは、周囲でおこっていることがきめるのではなく、あなたがきめることなのだ。(EKR)

ライフ・レッスン (角川文庫)
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