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2006年12月25日

子供の愛し方がわからない親たち

◇◆第358回◆◇

4062061449子供の愛し方がわからない親たち―児童虐待、何が起こっているか、どうすべきか
斎藤 学
講談社 1992-10

by G-Tools

児童虐待問題の入門書として
本書の出版は92年。児童虐待がまだほとんど社会的な問題になっていなかった時代だと思います。著者はアルコール依存症の問題に取り組む精神科医として、そのかたわらに常にいた物言わぬ被害者、「子供」のことには気づいていました。しかし、その問題の難しさにたじろぎ、どこかでこれを専門とする人がいるのだろうと安易に考えて取り組みが遅れた、とまえがきに書いています。

当時は児童虐待の専門家などほとんどおらず、保健師が縦割り行政や周囲の無理解の中でかろうじて手さぐりの努力を続けている程度、というありさまでした。実際のところ、こういう問題はできれば避けて、見てみぬふりをして過ごしたいところです。あまりに悲惨で、特に性的虐待などに至っては、人間存在の悲しさを感じてやりきれなくなってしまいます。

近代家族の問題が集積された存在としての虐待
児童虐待やDV(ドメスティックバイオレンス)は近代家族の問題が集積されたものといえます。著者は「家族が一種の暴力装置として機能しているという側面」を指摘します。家族の中の殴られる妻や性虐待被害児たちは「暖かい家庭」を維持するという至上義務のもとに沈黙を強いられているというのです。

現代では、あからさまな暴力や強制が嫌われて表面から消えた分、「暖かい家庭神話」の暗部にひそかに形を変えて生き続けています。実の親が血のつながったわが子にそのようなことをすることが信じられない、信じたくない、というのが社会通念ですが、人間の心の奥底にはそういうタテマエではどうしようもない何かが横たわっています。

「親密性の粉飾を取り払ってみれば、家族の"もうひとつの側面"があらわになってくる。そこは男が女を殴り、大人が子供を虐待することが許される唯一の世界である」と著者は書いています。本書は虐待してしまう親もある種の病的な状態におかれた人である、ととらえてその実態を書いています。

虐待の連鎖、加害者である親もまた被害者であることが多い
虐待する親自身が子供のときから虐待されて育っていることが多く、虐待の連鎖の問題や被虐待児が次は犯罪者や薬物中毒、アルコール依存、売春といった社会的不適応を抱え込むという負のスパイラルが見られます。マザリング(子供を育てる)ということに含まれる決していいことばかりではない苦悩の側面も書かれており、虐待する親と虐待される子供の双方から問題をとらえられるようになっています。

虐待問題に関して一歩進んでいる(それだけに凄絶な虐待事例も多い)アメリカの取り組みも紹介されています。日本でもようやく始まったばかりの虐待防止センターやさまざまな職種(警察、学校、保健所、児童相談所、など)の人がひとつのケースをめぐって連携しあい問題解決にあたっている現場の模様が紹介されています。

アルコール依存症で虐待する父親に首を絞められ、命の危険を感じながらも懸命にがんばっておられる保健師の方の活動には、頭が下がる思いがしました。


子供の愛し方がわからない親たち―児童虐待、何が起こっているか、どうすべきか
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斎藤 学

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