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2005年11月10日

制約されざる人間

◇◆第138回◆◇

439336418X制約されざる人間 (フランクル・コレクション)
ヴィクトール・E. フランクル Viktor E. Frankl
春秋社 2000-07

by G-Tools

人間は精神と心理と肉体の統合された存在
フランクルはロゴセラピーの創始者として、また『夜と霧』の著者として有名ですが、「哲学者、思想家としても第一級の人物として評価されるべきである」と監訳者はあとがきで述べています。本書はフランクルのそうした側面に焦点をあてるべく、彼が49年夏学期にウィーン大学でおこなった講義をもとにまとめられたものです。

哲学的、あるいは精神医学的な言葉を注意深く選んで使っているため、読みこなすにはそれなりの努力が必要です。本書には人間存在に関してのフランクルの深い思索が描かれています。”人間は精神と心理と肉体の統合された存在である”とフランクルは言います。そして、親から子が遺伝的な要素として引き継ぐのは、心理と肉体にしかすぎません。教育がどうにかできるのもこの心理までです。

精神はどこからやってくるのか、は誰にもわからない
彼は人間のもっとも人間らしい部分、その人のその人らしい部分を「精神」と定義づけています。では精神はどこからやってくるのか、といえば、それは誰にもわかりません。われわれがどこから来てどこへ帰るのか、われわれとは何か、それらのことはわからないらないとしかいいようがないのです。私たち個人をそれぞれランプのようなものだと考えた場合、ランプの形(心身的特徴)を与えるのは親からの遺伝形質だといえます。しかし、その内側で点る光(精神)は決して誰も与えることができないものなのです。

フランクルは物質還元論的な人間のとらえ方は全く間違っているといいます。そして、自然科学は還元論的に人間を取り扱わない限り自然科学としては成立しないのですが、だからといって人間が骨と皮と肉の塊にすぎないとか遺伝子配列の結果にすぎないなどというという「しょせん~にすぎない」という見方は間違っているし危険であると警告しています。

存在の意味を問う--人間はどちらを選ぶのも自由
「存在とは、唯一の大いなる無意味か、それとも唯一の偉大な超意味か」という問いは存在の意味を問うものですが、自然科学で答えることはできません。自然科学はただ現象についての知識を求めるものでしかないからです。この問いに対する答えは論理的には両方可能です。しかし、問われているのはそうした論理や合理性ではなく、もっと実存的な、情緒的なものです。

どちらを選ぶのもその人の自由です。その意味で「制約されざる人間」なのです。決断する者は無意味と超意味との間で均衡を保っている秤の一方に自己の存在の重みを投げ入れるのです。

フランクルはそれぞれの個人のそのときその場での実存的決断が究極はその人の人生を形作っていくのだといっているのです。人生で一見幸福や不幸に見えるいろいろなことが起こります。しかし、本当に大事なのはそこでその人がその次に何を選択し、どう行動するかであり、その選択と行動に関して私たちは自由なのです。

制約されざる人間 (フランクル・コレクション)
制約されざる人間 (フランクル・コレクション)
ヴィクトール・E. フランクル Viktor E. Frankl

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コメント

鈴木 隆夫さん、コメントいただきありがとうございます。

物質至上主義の危険をフランクルは指摘していたのだと思います。ゆきすぎた合理性は危険で、最終的なところは、人間にはわからない。フランクルの言うことは「パスカルの賭け」を連想させるものがありますね。

本書は、一度通読しましたが、手ごわくて通り過ぎ、その後読んだ「苦悩する人間」も手ごわかったものの惹かれるものがあってノートを取りながら三度読み、今再び本書を読み返しているところです。
掲載された書評は、よく纏められていて参考になりました。

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