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2005年7月30日

人生の短さについて

◇◆第102回◆◇

4003360710生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)
セネカ 大西 英文
岩波書店 2010-03-17

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どうでもいいことに人生を濫費している
セネカは紀元1世紀の古代ローマに生きた政治家であり、ストア派の哲学者です。この時代、ローマは帝政になって最初の混乱期にありました。カリグラ、クラウディウス帝のもとで、彼は一度は死罪を命じられ、一度は流刑に処せられています。その後、ネロの教育係となりますが、最後はネロから自殺を命じられてこの世を去りました。

本書を読んで、生きることに対するすぐれた思想というのは洋の東西、古代、現代を問わず変わらないものだと思いました。表題の「人生の短さについて」ですが、セネカは人生が短いのではなく、多くの人間はどうでもいいことに人生を濫費しているにすぎない、と指摘しています。

これは怠け者のことではありません。むしろ、地位や名誉をえて日々忙しく職務(といわれるもの)に振り回されている多くの人たちのことを指しています。セネカの時代にも60歳になって公務から引退したら、という人は多かったようです。それに対し、彼は「いつ死ぬかわからないということを忘れた愚劣なこと」といさめています。

今を生きる
本当に生きることを先延ばしにするのは、何も現代人だけではないようです。昔から宗教、思想などの偉大な賢人たちが常に変わらず言ってきたことは「今を生きよ」ということでした。時の流れは素早く、今日ある命が明日もあるとは誰にも保障できません。老いも若きもそれは同じです。

セネカは言います。「誰もみな自己の人生を滅ぼし、未来に憧れ現在を嫌って悩む。しかるに、どんな時間でも自分自身の必要のためだけに用いる人、毎日毎日を最後の一日と決める人、このような人は明日を望むこともないし恐れることもない」

死を忘れない
人が生涯をかけて学ぶべきなのは「いかに生きるか」であり、さら「いかに死ぬか」ということである、と彼は述べています。このあたりの記述はなにやら武士道にも通じるものを感じるのですが、死を忘れてのほほんと生きていることほど愚かな生き方はない、ということです。また死をいたずらに恐れる人間も真に生きているとはいえないともいっています。

セネカはネロから自殺を命じられたとき、この言葉にたがわず、実に平静なたたずまいで死に臨んだと伝えられています。命じられた死も人生の有為転変も、地位も財産も名誉も何もかも自分という人間の真の価値とは関係ないもの、という目覚めた意識を彼は持っていたのです。

生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)
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